昭和52年03月05日 朝の御理解



 御理解 第19節
 「金光大神は形が無うなったら、来てくれという所へ行ってやる。」

 金光様を唱える所に、金光大神お取次ぎの働きが、起こって来るとという事は、そこに金光大神を現すと言う事になると、ただ自分の小さい身辺の事、また身の内の事、又は社会見学かと言う様な大きな願の上にも現れて下さる。イヤ現さなければならない、そこに私共信奉者の勤めというか、金光大神の働きを自分の身の上に、又は自分の願いの上に現すと言う事は、金光大神のお言葉を実証すると言う事にもなるのです。
 でも金光大神のお言葉のいわば実証者たらなければならない。昨日は神愛会でしたから、先生達の会合で皆さん一人一人発表なさいました中に、子供達が4人とも発表させて頂いておりました。私は4人の子供達の話を聞かせて頂いて、本当神様が士農工商たろうたと言うて喜んで下さったお知らせを頂いた時の事を思わせていただいた。栄四郎が小学校を卒業したお届けをさせて頂いた時に頂いたお知らせです。
 士農工商がたろうたという事は、言うならば、全てが足ろうたという意味になるのです。または総人類の言わばどういう悩みでもどういう苦しみでもおかげが頂けれると、まぁ、金光様の先生で病気なんか、大変ない命を助けて頂いてお道の教師になったと言う様な人たちの所では、確かに病人が助かる。かと言うて自分が商売の上で難儀をしてお道の教師になられたという、例えば玉水の湯川先生あたりのところでは、それこそ大阪商都と言われる真ん中であれだけたくさんな商人が助かっておる。
 と言う様に、やはりそう言う傾向があるのです、同じ金光大神の信心を頂いても、本当それぞれの一つの特技おかげという理はおなじです。病気に苦しんである、経済で悩みであろうが人間関係の悩みであろうが。人間関係で大変難儀をした人の所では、やはり人間関係で助からなければならない人が集まってくると言った様な傾向がある。それこそ道理は同じなんだけれども、やはりそういう傾向がある。
 だから士農工商が足ろうたと言うことはね、侍も助かれば、農業者も助かる、商業者も助かる,功業者も助かる、ということはこれはすべてと言う意味なんです。だからこの合楽ではあらゆる角度からあらゆる人たちが集まってやっぱり助かっていっておる、行く事にこれからも愈々なる事だろうと思います。しかも私はその、4人の子供達の話の一人一人が素晴らしかったのに、私は感謝いたしました。
 一人一人がね、親の信心をいかに受け継ぎいかに現すかという事を各々の角度から話したように思います。若先生が言っておりましたが、これは士農工商というあのことは、これは合楽理念の中に入ってこなければいけませんねと、それはそうだなと。合楽理念の中にはどういう人たちでも、これは世界的に言うならば色の黒かろうが白かろうが黄なかろうがね、人類が助かっていけれる、しかも人間の持つ悩みがどういう角度からの悩みでもおかげが頂かれる。 
 神様はその士農工商が足ろうたということは、その士農工商の働きがですね、大きな意味において広がっていく願いをなさっておられる、そこになら子供達のこれからの精進、まぁ言うならば4人を合わせて私の信心という事になるかも知れません。成程そういう、まぁ完璧な一つの、まぁ要素というか計画というかね、そういう要素があって、これからの様々な神様の御計画がです、誰はどこに使う彼はどこに使うと言った様な働きが本当に受けられる信心を各々が頂き、そしてそれを願っていく、そして修行していくと言うことになると、なるほど私を現すことになる。
 先日、私が子供達のことをお願いしておる時に頂いた事なんですけれども、こんな大きな成金まんじゅうがありますね、大きな箱に、あの成金まんじゅうを4つに切ったとこを頂くんです、そしたらあの四つに切ったら、何か虫かなんかが、そのかじってからそのあんこのところをかじった所を頂いたんです。あぁこれはやっぱ言うならば士農工商が本当に天下をとっての御用をさせてもらわなければならない。
 これを4つに割れるようなことがあったら、虫がついてせっかくの成金もね、成金ということは、まぁ大変なおかげと言う意味でしょう。お金を儲かるという沢山儲かった人の事を成金とこう言う。成金と言う事だから、一切のおかげが まぁ言うならば成就しておっても、これを4つに切ったり分けたりするような事になると、おかげにならんぞと。あの毛利元就のあの三兄弟に対する教えがそうだったのですね。
 一人の矢を折れと言うたら簡単に折れた、三本一緒にして折ってみれと言うたらなかなか折れなかった、この通理だと、お前達兄弟三人が力を合わせていくならば、毛利家はいよいよ繁盛していくだろうと言うように、まぁ教えたと言う話があります。私共の言うならば士農工商がです、本当にワラビに力を、いわゆるそのまま成金まんじゅうで行ったら、言うならば親勝り大勝りのおかげにもなって行くだろうと、しかも合楽理念を元にして行きさえすれば、という事になります。
 ならこれは私の子供達の事だけではありません、皆さんにとっても、やはり合楽を現す親先生を現す、と理屈は同じような意味の事ではなかろうかと、金光大神がきて下さる、そして取次ぎの働きをそこに現して下さる。折角取次ぎの働きを現して下さるならば、ただ自分の身辺上の事だけ位な事ではなくてです、私共の祈りが愈々大きくなり、私共の信心が愈々成長させてもろうて、大きな願い大きな祈りが出けれる所にも金光大神の働きを受けていかなければならない、又そういう願いを持たなければならない。
 そこで大きな言わば信心と言う事はです、大きな金光大神を現すと言う事以外にないのです。最後に幹三郎が話しておりましたが、どんなに素晴らしい合楽理念が確立してもです、自分の心の中に光なくばその理念を現す事は出来ない、合楽理念の持つ光もあろう、けれどもまずは自分自身の光を頂いていかなければ、自分に合楽理念の体得者、そしてそれを合楽理念をもって絶対の道を住ませて貰うと言う事にはならない。
 探り探りではいけない、やはり自分自身の心の中に光が必要だと言う意味の事を言っております、そうだと。ただ合楽理念のマスターだけでは出けん、そこにはいよいよ本心の魂を清めて光り輝くものにしていく精進が、勿論必要である。良く言われます、信心の確立と言う事は、どういう事をもって信心の確立と言うか、金光教の、まぁ信心の全てを覚えるとか、体得するとか言うても確立ということにはならない。
 私し、確立と言う事は、いよいよおかげの頂けれる、お徳が受けられる信心、これを頂いておけば絶対の道が開けると言う確信が持てるときに初めて信心の確立と言う事になるんじゃないかと思うんです。言うならばこの手ひとつ覚え、これで行けば絶対な道が開けれるんだと。信心の確立、信心の確立と言う事が言われる、叫ばれる、そういう意味で私は、合楽理念の確立と言う事は本当に素晴らしい事だと。
 合楽理念を言わばマスターして、合楽理念に基づいた信心生活ができる時が初めて信心の確立ということが言えれる。信心の確立とはえらい、こう範囲が広い、そして何処もつかみ所がない何処まで行ったら確立かという事が分からないほどしに、言わば広い意味を持つのですから、信心の確立信心の確立と、いやもう家は家族中で信心をするようになった、改式もした、それで信心の確立が出けたと言う様な事ではない。
 この道をいけば間違いないという確信が出けた時に、私は信心の確立だと思う。そういう意味で、なら合楽理念と言う事を、マスターすると言う事は絶対の言わば道だと言われるのですから、合楽理念を愈々マスターさせてもらう、合楽理念を愈々縦横に頂いて、そして自分のおかげの確立だけではなくて、教団のおかげの確立、世界総氏子の助かる事のための理念の確立と言う事にね、輪を広げていくおかげを頂かなければならん。折角そこに金光大神がきて下さる、そこに現れてくださる。
 また現していかなければならない、せっかく金光大神を現すなら、そういう一つの過程をです。いよいよ大きな場に金光大神の働きを頂けれる信心をさせて頂くと言う事が、とりもなおさず信心の成長と言うことになるのです。金光大神が、だからこっちから色々大きくならなきゃならない。そこへなら金光大神を大きく現すことが出きる。それには例えば昨日、私の子供達が4人、色々な角度から話しておりましたように。
 どうすれば親の信心を受け継ぎ、またそれを現す事が出きるかと言う事を、あんな言わば状態でやっぱり求めつづけておる、またそこのところに焦点をおいて日々の信心の稽古をしているんだと思わせて頂いて、まぁ大変私は心強い思いをした訳でございますけれども。皆さんの場合もそうです、いかにして金光大神を、お取次ぎの働きをいかに現すかということをいよいよ大きく偉大な金光大神を現す事の、言わばふしんね、心を練るという事がなされなければならんのじゃないだろうか。
 言うならば、看眼ですね、いかに金光大神を現すか、私がおかげを受けるという事がそのまま金光大神を現すことであれば、いかに金光大神を、偉大な金光大神として現しうるか、願いと言うものをです、例えば昨日新聞が、合楽だよりが出けておりましたが、まるっきり、あのオールむつやのような感じの記事で一杯でしたね。ですから、例えばその、ならむつやならむつやと言うのがです、むつやと言う、ならお店がです、繁盛しさえすれば良いと言うのでなくて、繁盛とともに合楽をいかに現すかと言う事に、眼目をおくと内容が大変変わってくると思うですね。
 この頃から、あのブラザーミシンですか、の事やら東京の末広という、なんて言ったですかね、肉のデパートとでもいいでしょうか。ただ店が繁盛しておるというだけではなくてですね、金光大神を店全体で現しておられるという感じなんです。沢山な従業員がありますけれども、言わば労組と言うのがない、ブラザーもやっぱそうだそうです。ブラザーミシンが繁盛する元はそこにある訳でしょうけども、繁盛するだけではなくてそういう現し方が出きる。
 それにはやはり社長であるところの、その真の信心がそこに問われるわけであるです、ならむつやであるならば、むつや信二郎社長の信心が問われるわけです。その信心に伴うてくる言うならば人間関係、売り場から買い場にいたるまで、言うならば金光教の信心一色に、私はおかげを頂いていくと言うような、いわゆるその眼目がね、いかにむつやで金光大神を現すか合楽を現すかと言う様な所へ願いが置かれるということがですね、その意欲の上にもたいへん変わってくると思うんです。
 また神様の働きもまた変わって来る。今日は金光大神が形がのうなったら来てくれと言うとこに行ってやるとおっしゃる事は、金光大神をとなえる所に金光大神の働きが頂けるという事は取次ぎの働きをそこに受ける事が出きる、それはそのまま金光大神を現す事だと。小さいどの様な事にもです、痛い痒いの事に至るまで、なら金光大神のおかげを頂かなければならんが。折角金光大神に来て頂いて。
 金光大神が現れて下さる為のおかげを頂くならば、本当に金光大神が働き甲斐のありなさるような場に金光大神に来てくれと言うような願いを持たせて頂かなければならない。 昨日、子供達がいかに合楽を現そう、いかに親先生を現そうかと親を現そうかと、言わば色々苦心をしておる事を、まぁ感じさせて頂きましたが、なら皆さんの一人一人がです、ただ自分がおかげを受ければ良いというのではなくて、いかに合楽を現そうかという所に、眼目が置かれるときに、その内容が大変ふかい。
 そして神様にも喜んで頂く内容という事になってくるのです。お互いの信心を思うてみて、どうぞ万事商売の上に万事万端ご都合をお繰り合わせを頂きますようにという願いもね、言うなら眼目が金光大神を現す合楽を現す親先生を現すという事に繋がっただけで、その価値観という物は大変な違いを見てくると、こう思うのです。出来るだけ言うならば価値のある願い、価値のある信心をさせて頂かなければならんとおもうですね。
   どうぞ。